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掲載日:2020年10月26日

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図書室委員会視察報告

期日

 令和元年11月1日(金曜日)

調査先 

   (1) 東京藝術大学附属図書館(東京都台東区)
   (2) 公益社団法人温故学会塙保己一史料館(東京都渋谷区)

調査の概要

(1)東京藝術大学附属図書館

 (専門図書館の管理運営状況について)

【調査目的】

 東京藝術大学附属図書館は、1世紀以上の長い歴史をもち、さまざまな芸術関係の資料が蔵書されている専門図書館である。また、リニューアルにより収容能力や開架率がアップした書庫や工夫された閲覧室などの施設を実地に視察することにより、今後の県議会図書室運営の参考とする。

【調査内容】

   東京藝術大学附属図書館は、1世紀以上の長い歴史をもち、46万点の蔵書の8割近くが芸術関係の資料であり、日本の代表的な総合芸術情報センターの一つになっている。
   蔵書のうち約30万点の所蔵データを、藝大のWeb OPAC(オンライン蔵書目録)などで国内外に公開しており、研究室や自宅のパソコンからアクセスが可能になっている。また、美術書や音楽書などの図書以外に、画集や楽譜はもちろんのこと、CD、LP、LD、ビデオ、DVD、CD-ROMなどの音像や映像資料も豊富に所蔵している。また、所蔵する貴重資料やコレクションによる企画展示を開催するなど、学外にも開かれた活動をしている。
   本図書館は2018年9月に、(1)一番の受益者は本学の学生であること(2)知の交差点であること(3)通り抜けられる施設であることという指針をもとにリニューアルオープンした。2019年6月には、低コストで極めてミニマル(必要最小限)で凛々しい作品を生み出した好例であるとの評価で、「令和元年度東京建築賞」を受賞した。
   視察した旧館(A棟)と新館(B棟)のうち、旧館の大閲覧室は、大きめの美術書を置くフロアで、高い天井の下に低い書架を並べることで、圧迫感のない居心地のよい空間になっていた。旧館にはその他、音楽書を配架した小閲覧室、多種多様なAV資料を視聴するAVコーナー、レポート作成などに利用できるPCコーナー、グループ演習室などがあった。さらに、貴重資料閲覧室も設置され、落ち着いた環境でじっくり閲覧できるようになっていた。貴重資料が保管されている閉架書庫は、ガス消火設備が整えられ、貴重資料が安全に保管できるようになっていた。
   書庫では、普段は目にすることができない著名な方々の直筆の楽譜等、貴重な蔵書を見せていただいた。
   新館は地上3階、地下1階の建物で、ラーニングコモンズ(学習支援を意図とした多目的スペース)と書庫が配置されていた。1階がラーニングコモンズで、OAフロアと可動式家具の導入により、ひとりで作品の構想を練ったり、グループワーク、ミニコンサートやワークショップなど多目的に使うことができるようになっていた。2階以上は開架書庫になっており、楽譜や雑誌のバックナンバーも自由に手に取って選べるようになっていた。また、書庫として書籍の保存に適した温湿度を維持できるように、2階以上に窓がほとんどなかった。
   新館の書庫増設により、資料の収容能力が1.6倍に増え、図書館としての基本機能が強化され、さらに、2階以上の書庫を開架式としたことにより資料の開架率もアップしたとのことである。
   概要説明、実地視察の後、保存・管理されているものについて、利用者についてなど、委員から活発な質疑が行われた。
   今回、このような施設を実地に視察したことは、今後の県議会図書室運営の参考となるものであった。

東京藝術大学附属図書館での様子

東京藝術大学附属図書館にて

(2)公益社団法人温故学会塙保己一史料館

 (専門図書館の管理運営状況について)

【調査目的】

 塙保己一史料館は、埼玉県出身の偉人、塙保己一に関する資料や「群書類従」の版木(重要文化財指定)を収蔵・管理・保管して活動している専門図書館である。その管理運営状況を実地に視察することにより、今後の県議会図書室運営の参考にする。

【調査内容】

   塙保己一は、延享3年(1746年)、武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町)に農家の長男として生まれ(幼名寅之助)、7歳の時に病により失明した。学問好きで記憶力の優れた保己一は15歳で江戸に出て盲人の職業団体である当道座の雨富須賀一検校の門人となった。鍼、按摩、琴、三味線が上達せず、自殺未遂をするほど悩んだ末、学問をしたいと雨富検校に申し出て認められ、以後様々な師と出会い、幅広い学問の道に精進した。
   安永4年(1775年)には師匠雨富検校の苗 字をもらい塙姓を名乗り、名も保己一と改めた。
   安永8年(1779年)34歳の時、散逸、焼失した日本の貴重な古典籍を集書刊行して世に広めるため「群書類従」の編さん・刊行を始めた。保己一は書籍を求めて幕府の文庫をはじめ、社寺・公家・大名などに願い出て秘本・珍本類の筆写を続けた。さらに江戸はもとより、名古屋・京都・伊勢・大阪方面に調査、研究に出かけては頭に記憶させながら、原本・写本の綿密な吟味と厳正な校訂を続け、版木に彫らせて木版本として頒布する道を開いた。
   「群書類従」の編さん事業は、幕府から設立を許された「和学講談所」で多くの門人によって行われ、40年の歳月を経て文久2年(1819年)完成した。その収録文件数は1,277種、666冊、版木枚数は17,244枚、両面刻であるから約34,000ページに及ぶもので、わが国の貴重書が散逸から免れ、人々に利用されるという意義のある大事業であった。
   塙保己一は「群書類従」完成の2年後、文政4年(1821年)2月に総検校職に昇進、同年9月に76歳で逝去した。
   「群書類従」の版木は明治維新の混乱などの中で、一時所在不明となったが、明治42年(1909年)に宮中顧問官井上通泰が文部省構内の倉庫で「群書類従」版木を発見。保己一の偉業を顕彰するため、子爵渋沢栄一、文学博士芳賀矢一、井上通泰、塙忠雄(保己一曾孫)により温故学会が設立された。
   昭和2年(1927年)には温故学会会館(塙保己一史料館)が現在地に竣工、版木を保管して現在に至っている。建物は、鉄筋コンクリート2階建で、正面からは鳳凰が両翼を広げたような形をしており、玄関に向かって右側が1階・2階とも版木倉庫、左側は1階が事務室などで、2階の講堂は27畳と床の間を配置するという和洋折衷の珍しい構造となっている。室内には渋沢栄一が揮ごうした「温故知新」の額が飾られており、平成12年(2000年)4月、文化庁より「登録有形文化財」の指定を受けた。
   概要説明、実地視察の後、見学に来た子どもたちが興味をもつところ、また、子どもたちに対する説明の仕方、版木の管理・保管方法などについて、委員から活発な質疑が行われた。
   今回、本県の大偉人であり、ヘレン・ケラーが心の支えとしたと言われる塙保己一の偉業を肌で感じるとともに、専門図書館として活動している施設の運営状況等を実地に視察したことは、今後の県議会図書室運営の参考となるものであった。

お問い合わせ

議会事務局 図書室  

ファックス:048-830-4924

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