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掲載日:2024年7月1日
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生涯に約500の企業の育成と約600の社会公共事業に関わり、民間外交にも尽力したことで、「近代日本経済の父」とも呼ばれた渋沢栄一翁。
そんな彼は、現在の埼玉県に生まれました。そう、「渋沢って、埼玉」なんです。
新一万円札発行を記念して、埼玉から始まった彼の偉業・年譜そして彼が生涯貫いた哲学について、あらためて紹介します。
詳しくは「渋沢栄一の偉業・年譜紹介」
令和5(2023)年12月12日に財務省から「新様式の日本銀行券の発行について」が発表され、令和6(2024)年7月3日(水曜日)に発行を開始することが決まりました。
平成31(2019)年4月9日に財務省から「新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します」が発表され、埼玉ゆかりの偉人である渋沢栄一が新一万円券の肖像に決まりました。
財務省記者発表資料「新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します」
武士の鑑と謳われた畠山重忠(はたけやま しげただ)は、源平争乱から幕府創立期にかけて活躍した武将です。
生まれ
長寛2(1164)年、秩父平氏の一族である畠山重能(しげよし)の子として、武蔵国男衾(おぶすま)郡畠山館(現深谷市畠山)に生まれる。
源頼朝との出会い
治承4(1180)年、頼朝の挙兵に平氏方として参戦。当初は頼朝と敵対するが、勢力を拡大した頼朝に従うことになる。
頼朝の信頼を得て右腕に
平氏討伐のために頼朝が相模国(さがみのくに)(現神奈川県)鎌倉に入る際に先陣を務める。元暦元(1184)年、宇治川の戦い、一の谷の戦いで活躍し武勲をあげる。
北条氏に敗れ、最期を迎える
数々の戦の勝利に貢献し、頼朝亡き後も幕府を支えた重忠。元久2(1205)年、北条氏から謀反の疑いをかけられ、菅谷館(現嵐山町菅谷)から鎌倉に向かう途中、北条氏率いる大軍に敗れ最期を迎えた。
深谷の地に眠る
深谷市畠山の「畠山重忠公史跡公園」内に重忠公とその家臣の墓といわれている五輪塔がある。
もっと詳しく知りたい方は下記ホームページをご覧ください。この機会に畠山重忠ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか?
※畠山重忠については諸説あります。ご了承ください。
埼玉ゆかりの偉人190名(重複含む延べ人数)のデータを検索しやすく整備しました。
塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子にゆかりの主な施設を下記に掲載します。
(1)塙保己一
・本庄市塙保己一記念館(本庄市児玉町八幡山368番地 アスピアこだま内)
(2)渋沢栄一
・渋沢栄一記念館(深谷市下手計1204)
・渋沢栄一生地「中の家」(深谷市血洗島247-1)
・誠之堂・清風亭(深谷市起会110-1 大寄公民館内)
(3)荻野吟子
・熊谷市立荻野吟子記念館(熊谷市俵瀬581-1)
埼玉ゆかりの偉人の生涯を写真や年表を使って紹介しています。
県が実施する偉人に関わる顕彰事業です。
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