トップページ > 文化・教育 > 文化 > 埼玉の偉人ホームページ > 埼玉ゆかりの偉人データベース > 東部地域 > 埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/知久 文左衛門
ページ番号:5805
掲載日:2023年4月25日
ここから本文です。
偉人氏名 |
知久 文左衛門 |
---|---|
氏名よみがな |
ちく ぶんざえもん |
偉人氏名(別名) |
知久 景信 |
別名よみがな |
ちく かげのぶ |
主な功績 |
幸手宿本陣で名主、天明の飢饉での窮民救済、権現堂川水防見廻り役 |
分野 |
その他 |
ゆかりの市町村名 |
幸手市 |
出生地 |
--- |
主な居住地 |
幸手市 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1736から1795 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
元文元年から寛政7年 |
功績 |
江戸時代、天明の飢饉の時、飢えに苦しむ窮民たちに施粥をした幸手宿の本陣で名主を務めた。この時、金品を提供したのは幸手宿・上高野村の商人21名。関東郡代伊奈半左衛門はこの美挙を賞したため、幸手宿の古老たちが後世に伝えるため「義賑窮餓之碑」を正福寺に建立した。天明3年(1783)の浅間山の噴火で河川への土砂堆積がすすみ、洪水が多発した状況を憂慮し、幕府代官に権現堂堤の水防対策を上申した結果、幕府老中から権現堂川の水防見廻り役を任命された。 |
関連ホームページ |
--- |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
--- |
参考文献(著者・出版社) |
『幸手市史』通史編1 |
ゆかりの場所・名称 |
正福寺 |
ゆかりの場所・住所 |
幸手市北1-10-3 |
ゆかりの場所・説明 |
義賑窮餓之碑が所在する寺院。施粥は、正福寺の末寺である満福寺(中4丁目)で行われた。 |
ゆかりの場所ホームページ |
--- |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください